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蔵元×社長×杜氏 特別対談
田部竹下酒造では
2023年初頭から試験醸造酒を出荷。
蔵を代表する酒の輪郭が
はっきりと見えてきた今、
蔵元・社長・杜氏の三人が
これまでの酒造りを振り返る。
田部蔵元
濵崎杜氏
田部蔵元
大野社長
ゼロから始まった
暗中模索の酒造り
蔵元と杜氏の出会いから
〝新しい酒〟が走り出す
大野
蔵を立ち上げたのは去年でした。まだ1年経っていませんね。
田部
もともと我々は『たなべたたらの里』の事業で自給自足を考えており、その一環で日本酒造りも視野に入れていましたが、竹下本店さんから蔵を引き継ぐお話がきたのは本当に突然でした。竹下さんの酒造りは150年前に田部家からお譲りしたものですから、お断りするわけにはいきません。着手を決めたものの、僕は日本酒を造った経験がない。蔵のことも杜氏さんのこともわからない。非常に悩みました。いろいろな方に相談する中でご紹介いただいたのが、新潟の『鶴齢』で知られる青木酒造の青木社長。蔵のことなどいろいろと話を聞いていただき、コンサルタントさんとも繋いでもらいました。竹下本店は150年ほどの歴史がありますが、我々は新しいお酒を造ろうとしていたので新進気鋭の杜氏さんを求めていました。そこで紹介されたのが濵崎さんだったんです。
濵崎
蔵元と初めてお会いしたのは、三刀屋町の中華料理店でしたね。その時僕は自分が採用されるのか正直わかっていなくて…。料理の味が全然わからなかった(笑)。田部社長の第一印象は想像通りで、なんて言ったらいいんだろう、“地方のドン”のような(笑)。怖くはないけど、僕はビビリなんですごく上がってて、辛い料理を食べたはずだけど全く覚えてない
!
田部
僕そんな感じでしたか
!?
(笑)初めて掛合の竹下本店に行ったときはどういう印象でしたか?正直言って旧式な…オーセンティックな蔵ではあったと思いますが。
濵崎
長年酒を製造していない蔵でしたし、設備は古く、その使い方もよくわからなかったので困りました。たとえばお酒を搾るときに使う槽(ふね)というものがあるんですが、全然使い方がわからなかったです。
大野
苦労しましたね。器具などをどうやって並べていけばいいのか、みんなで話しながら…。
田部
どういうお酒を造るのか濵崎さんと協議する段階になり、二人で山口県の焼鳥屋さんで飲みながら話し合いましたよね。山口県のお酒を全部注文して、飲みながら語り合いました。その時に決めたのが、島根の象徴である宍道湖や日本海などの水をイメージさせるようなすっきりした日本酒でした。
濵崎
『どんなお酒を造る?』と問われた時、僕は製造する立場なので『こんな香りが何%で、グルコースが何%で…』と専門的なことを言ってしまったんです。そうしたら蔵元が『いやそうじゃないんだよ』と。
田部
そうそう、覚えてる
!
濵崎
僕、そのとき即答できなかったんですよ。
田部
ワインのように、こういう香りがして、こういう雰囲気で、香りがバーンと最初にでて、鼻腔を通って、飲み込んだ後にふわっと戻っていく…、そういう表現で言ってくれる?と返しましたよね。
濵崎
答えられないとクビになると思った…(笑)。
田部
そんなことはしませんよ(笑)。その時5つぐらいグラスが並んでいたんですが、杜氏はそれを全部飲み切った。 すごいな、やっぱり蔵人さんってお酒が強いな、と思いました。その後店を出たときに、『社長、いいですか、僕ちょっと立てません。歩けません』なんて言うものだから…。僕が店のそばで介抱しました(笑)。香りがふわっときて、後味がシューっと奥まで行って着陸していく、かつスッキリして余韻の長い酒、というイメージはその話し合いに決まった。その後、いろいろな蔵のお酒を飲み、理想の味を突き詰め、具体的な着地点を決めていきましたね
濵崎
大筋イメージが決まったところで、それに合うよう4種類の酵母を選びました。そのうち1001と1701は使ったことがなかったんですが、蔵元から好きに造っていいよと言われたので本当に好きにやってやろうと思って(笑)。
田部
だってそうしないと造れないじゃないですか(笑)。我々は専門家ではないので、美味い、好き、嫌いといったことは言えるけれど、酒は造れない。杜氏が頼りなんです。僕らは暗中模索していた。暗いトンネルをずっと歩いていて、濵崎杜氏という一筋の明かりが見えて、そこに向かっていたような状況でしたから。
島根の湖や海を思わせる、
透明感のある酒を―
そのイメージは、
蔵元と杜氏の
キャッチボールから
形づくられていった
仕込まれたのは
4種類の試験醸造酒
社長も杜氏・蔵人と
汗をかき、
一番酒を目指した
田部
大野社長は田部グループ内の畑が違うセクションから酒造部門に来られましたよね。しかも昔からビール党。いきなり日本酒の会社の社長になって酒造りに携わるのはどんな気持ちだったんでしょうか?
大野
まず、迷いました。でも、濵崎杜氏と蔵人の2人に会って一緒に酒造りに取り掛かったときに、ぱっとひらめいて、感じる何かがありました。これは面白そうだと思うようになり、お酒に興味を持てるようになったんですね。一番酒造りを手伝い、1ヶ月ほどたった頃に身に染みたことがあります。それは、お酒は専門的な知識や技術以上に、体力、忍耐、それからチームワークの三つが揃わない限りは絶対に美味しくできないということ。僕もこのメンバーとチームとして濵崎杜氏の目指すお酒を造ろうという気持ちになりました。それからですね、本当にお酒が好きになったのは。蔵人たちは本当にすごいです。非常に研究熱心。温度などの条件で発酵は変わってくるんですね。それを見極めるのが一番大切なことなのでしょう。日々顔色が変わっていました。にこっとしたり、悩んでいる様子だったり、すごく変わるんですよ。そのうちに、大丈夫かなと心配になるぐらい神経質になって、怖くて近寄れないんですよ…。特に一番最後、酒ができ上がる頃からはピリピリしていました。
濵崎
酒を絞った後を大切にしていますからね。もうそこからは本当に忙しくなりますし。
田部
4種類の試験醸造酒ができたわけですが、手応えはどうですか?
濵崎
それぞれの酵母の特徴が出せたと思っています。好き嫌いはあるはずですが、いいものができたかな。901は酵母を使い慣れていたので、今の設備で、この着地点を狙えるなというのは見えていました。1801もそう。1001と1701は何とか着地したぞという感じですね。
田部
901が賞を取ったのも狙い通り?でき上がった酒の自信のほどは?
濵崎
コンテストへの出品は賞が目的ではないんです。作り手としては、他の蔵のお酒と並べたときにうちのお酒がどの位置にいるのかを確認したかった。手応えがあるのはやはり901と1801。自信は不思議なことに、あるんですよ(笑)。これから設備が変わっていけば、またかなり味が変わるでしょう。その先にも自信があって、酒質がまた一つ良くなるだろうと確信しています。
田部
1801は僕が最初に描いたイメージにとても近い。香りがぱっと来て、余韻が鼻腔に抜け、すーっとうまくサッと着地するような、すごくいいお酒ができましたね。
田部
銘柄は竹下家の6代目当主・理八さんから名前をいただいて、『理八901』『理八1801』にしようと考えています。候補は他にも色々とあり、商標登録の関係などで二転三転しましたが、理八さんのお名前を聞いたとき、これだなと。竹下本店に竹下家の歴史に関する説明図があるのですが、それを見てもやっぱり『理八』がいいなと感じました。『りはち』は3文字で覚えやすく、八は僕の好きな数字でもあった。理八という名前、皆さんはどうですか?
濵崎
理(ことわり)に数字の八というのがいいですね。僕は理という字が好きで、田部竹下酒造のホームページで公開している酒造りの姿勢についての文章でも使っています。
大野
『りはち』は響きも最高にいいですよね。
田部
今、ラベルのデザインを練っているんですが、英語表記はThe Rihachi。外国の人にもわかりやすく覚えやすい。田部家と竹下家には長い歴史があります。150年前に田部家から竹下家が酒造りを引き継いだ時は、ご当主の理八さんは相当な無理をしてくださったはずなんですよ。当時諸事情で酒造りができなくなった田部家の申し出を、竹下家は男気で受けてくれた。今回我々も、蔵を続けるお話を男気で受けた。それもありプレッシャーは大きかったです。いろいろな人から「日本酒ね、難しいよ」「ちょっとやそっとじゃそんな美味しいのはできないよ」「大丈夫?造ったことないでしょ」と。「そりゃそうですよね」と返していましたが、内心では絶対にこの人を黙らせる美味しい酒を造ってやる
!
と思っていましたよ(笑)。そういった方々に「美味いね」と評価いただいて、今では地元でも結構話題になっている。本当に杜氏のおかげです。
濵崎
ここで酒造りをやるとなったときは、本当にどうなるかと…(笑)。
大野
我々も本当に鼻が高いです。
田部
どこに行っても美味しい、美味しいと言っていただける。お酒を造っていてこれ以上の褒め言葉はないですよ。そういえばこの前ある方から『ワイングラスに注いで奥さんに飲ませたら、変わった白ワインだねと言われた』というお話を聞きました。
濵崎
それは僕の狙い通りですね。そう感じさせたのは、“勝ち”だなと思います。
田部
それぐらい、最初に杜氏と話した時の理想が形になっていたということ。イメージでお伝えしたのに、そのまま造るからすごいですよね。
濵崎
本当に大変だったんですよ
!
(笑)去年の9月に掛合に来た時、年明けに『帳開き』というお正月行事があると聞きました。自分の勝手な思い込みかもしれませんが、絶対間に合わせたい、そこで初めて作った新しい第一号のお酒を飲んでもらいたい、と職人魂的なものが刺激されました。しかし逆算すると、もう11月から仕込み始めないと間に合わない。準備に2ヶ月しかなかった…。
田部
帳開きは江戸時代から続く田部家の伝統行事で、神聖な仕事始め。幹部やその年に昇格した人、入社した人などが集まり皆でお酒を飲む、儀式のようなものです。その時に大切なうちのお酒で乾杯できるというのが、非常に嬉しかった。お酒に関しては我が子のようなイメージでいますからね。
試験醸造から
901と1801が選定され、
新たに『理八』の銘が
つけられる
そこには田部家・竹下家の
歴史への思いが
込められていた
『理八』のリリースとともに
世界で愛される
酒を目指して、
次の一歩を
田部
杜氏のおかげでイメージ通りのとてもいい酒ができました。自信を持ちつつ謙虚になって、毎年毎年酒造りをしていきたいですね。来年は901と1801の2種類造ろうと決めていますが、今後はどんな感じでいきましょうか。いや、もう好きに造ってもらっていいんですが(笑)。
濵崎
私はこれからは次の世代に技術を伝えたいと思っています。例えば、蔵人の2人に年に1本だけチャレンジタンクのような酒を造ってもらうのはどうでしょう。もちろん僕も監修はしますけど、完全に任せて。それを市場に出してみて、答えを聞きたいです。
田部
いいですね。あとはやっぱり大吟醸でしょうか。
濵崎
ええ、大吟醸はとりあえず1801の酵母で1本造ってみようと思います。
田部
僕としては今後は日本だけでなく、世界中で飲まれる酒を目指していきたいという思いがあります。そのあたり、大野さんはどうですか?
大野
そうですね、やはり1年、2年、3年とかけて世界に通用するようなお酒を造っていきたいと思いますね。そのために一つ一つのことを、味にこだわりを持ってできれば…。ヨーロッパでもアメリカでもどこでもいいのですが、その地で食べる料理を引き立てるようなお酒ができるといい。
濵崎
色々な引き出し持っている自負はあるので、麹を変えてみたりしてチャレンジをしたい。酵母もそれぞれ特徴があるので、他の種類も試してみたいですし。お酒造りは酵母だけでなく麹や水、お米など全体のバランスが大切。バランスよく着地できるように持っていきたいなと思います。
田部
全国に四千軒ほどあった酒蔵が今は千軒ほどに減り、一時期日本酒業界は沈下しつつありました。最近は新しい挑戦をする蔵が出てきて、ものすごくレベルが高くなっている。群雄割拠で、次から次へと新しい蔵が出てきています。その中で我々が生き残っていくためには、相当頑張らなければいけない。だから年に何回かは我々と杜氏、蔵人さんで、どういう酒にしたいか話すべき。もちろん杜氏にお任せするんですが、軸足のところは我々経営側も一緒に擦り合わせておきたいです。お酒を飲みながらね。でもお酒を飲んでいると、大体途中からどうでもよくなってしまう…(笑)。
濵崎
楽しくなっちゃいますよね(笑)。
田部
でも、日本酒造りは楽しい仕事ですから。いや、こんな楽しい仕事だったらもっと早くやっていればよかった
!
クリエイティブだし、こんなに喜んでもらえるものは他にない。竹下本店の歴史を引き継ぎながらも新しい蔵として在るのが田部竹下酒造。我々3人と蔵人、皆で島根県を、日本を代表する、世界に通用するお酒をこれから造っていく。それを目指して頑張りましょう。
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